日本酒の未来を考えるにあたって(前半)

 私が中央会の仕事を辞する1か月ほど前に、新潟大学日本酒学センターの岸先生のご紹介で米国ニューハンプシャー大学法学部長のミーガン・カーペンター教授がお見えになりました。彼女は世界の伝統的な飲料業界における地理的表示、地域アイデンティティー、そして気候変動への対応などについての論文を執筆中とのことで、その研究の一環として日本を訪問されていました。

 そんな偉い先生を前に、日本酒の業界を代表して地理的表示について論ずるような立場にはないことを前置きしたうえで、ただ一方では日本酒のなかに失われつつある地域性を憂い、またこの地域性こそが世界の酒として日本酒が力強くはばたいてゆくためのキーポイントであると信じ、願っている者として、非常に愉しいディスカッションの時間を過ごさせていただきました。

 東京を中心とした全国各地において日本酒の数々のイベントが非常に盛大に行われているのはとても素晴らしいことだと思っておりますが、一方で過去の文章にも記したように、それらのイベントがアイドル歌手の握手会のように見えることに私は何とも言えない違和感と不安感を抱いています。

 ここに集まっている人々は、本当に日本酒がおいしいと思って来ているのだろうか。もしくは本当においしい日本酒を探そうと思って来ているのだろうか。さまざまな日本酒のなかに、どのような魅力を感じているのだろうか。

 日本酒というお酒は、長い歴史のなかで紡がれてきた文化であり、造り手たちによって今も進化し続けている飲み物です。その味わいのなかには、酒に込められた思いがあり、その酒が生まれた背景の物語がありますから、お酒を味わいながら、そこに込められた思いや物語を知り、造り手の顔を見てお話を聞くのはとても贅沢で楽しい時間でしょう。お酒の大切な文化的魅力のひとつであると思います。著名なグルメ系のメディアも、多くの日本酒特集では造り手にスポットライトを当てて、酒の物語を伝えることが多いですね。 

 どう思われますか?

 何も悪いことなんかないじゃない。その通りです。

 でも、業界のなかにいる私たちは、そこでいつまでも踊っている場合ではないと思います。2011年の東北大震災以降に復興需要をきっかけとして若者や女性を中心とした新しい需要層を取り込んだ業界は、少し上昇機運に恵まれました。しかしその機運は15年過ぎた今は改めて需要の下降傾向に戻り、需要を再び上昇につなげる材料を失っているように見えます。15年の間に新しいヒーローが生まれ、次々に新しい銘柄が登場しては忘れられてゆく。その繰り返しに、そろそろ飽きが出始めている。大きな声は出さずとも、そんな行き詰まり感を多くの業界人が感じています。

 唯一の地理的なブルーオーシャンである輸出市場は伸びています。そこには大きなポテンシャルがあることは間違いない。でも海外に出かけて売り込みに行く体力・意欲・財力を持つメーカーは限られていますし、その努力なしに勝手に伸びてゆくほど世界の市場は甘いものではありません。2大輸出先国の米国と中国は、それぞれにカントリーリスクを抱え、国際情勢はいつ何が起きるか予想できません。

インバウンド需要は、日本酒業界が取り込め切れていない大きな需要です。その需要拡大のための酒蔵ツーリズムも長年議論されていますが、実際の成功例は少なく、大きな需要のうねりに繋がっている実感もありません。

グルメ系のメディアが担ってきた日本酒の流行は、結局表層的なものです。表層的と言うのはネガティブな表現ですね。一面的と言った方が良いでしょうか。その時々に注目を集めるヒーローを育て、そのブランドに消費者が吸い寄せられる。そういう方程式です。

 それらのブランドには、それぞれに立派な価値があり、また消費者が魅力を感じる味わいを備えていることは間違いありません。優秀な編集者たちは新しいヒーローを求めてアンテナを張り巡らし、その価値を伝えてきました。

 ただ、ブランドは流行に左右されます。1000以上ある日本酒の酒蔵のなかで、消費者の記憶に残るブランド名は、その中のほんの数パーセントに過ぎず、その他の酒蔵は10年先にブランドとして消費者の記憶から消えてしまう存在です。その時にメディアは自分を支えてくれることはありません。それがマーケットの現実です。

 自分の市場は自分で作り、自分で守る。

 そしてまた一方で、日本酒というジャンル全体が消費者の支持を集めて、ジャンル全体が長く愛されるような仕組みを考え、また未来にわたって日本酒がその存在価値を持ち続けるために何が必要であるかを考える必要があると私は思います。