日本酒の未来を考えるにあたって(後半)

日本酒の未来を考えるにあたって(後半)

あるブランドの商品に火が付くと、飲食店や消費者はその商品に殺到します。その結果として、人気のブランドは特定の卸や小売を経て特定の飲食店に流通し、一般の消費者は買いたくても買えない、飲みたくても飲めない。いわゆる「幻の酒」になります。

幻の酒になってしまえば商売は楽です。こちらから売り込まなくても、その酒が欲しい人々がペコペコと頭を下げてきます。この状況に慣れてくると、商品を確保している流通はどんどん強気になってゆき、「いくら以上買って頂かなくてはこの商品は売れません」とか「他の商品も買って下さい」とかいった無理を言うようになります。

有名な日本酒専門店は、自社の決定的な強みになるこのような商品を揃えることに躍起になり、あの手この手を使って商品の取り扱いを確保すると、徹底的に商品を囲い込んで自社の得意先に販売することに奔走するようになります。ごくごく自然な流れです。誰も知らない酒の価値を伝えるよりも、メディアが持ち上げてくれる商品を優先的に取り扱うことができれば、その方が商売も楽に強みを発揮することができるからです。

繰り返しになりますが、この商売の流れ自体はごくごく自然です。商売を生業とする者であれば、自社の強みになる商品を発掘し、優先的に販売するというのは商売の鉄則です。でも、この構図は本当に生産者のメリットになっているでしょうか。

生産者の思いとは、自分の酒を飲んでみたいという消費者に出来るだけ広く自社の酒を飲んでもらいたい、そしてその評価を聞きたいというものでしょう。そして何よりもせっかくブランドとして認められるようになったのだとしたら、利益としてそのリターンを享受することが大切です。

小規模のメーカーが、限られた商品で有名になり、あっという間にキャパをオーバーして売るものがなくなってしまった場合、メーカーがより多くの利益を上げるためには、生産を拡大するか商品単価を上げるかしかありません。山口県の旭酒造は、それを最も効率的に行うことによって非常に高い利益を確保し、さらなる再投資を行うことによって正の回転を続けておられます。また商品構成を高価格帯に大きくシフトすることによって商品の平均単価も上げることに成功されました。

多くの中小メーカーは、50年の長期にわたる売り上げの低迷のトラウマから抜け出せず、なかなか生産規模拡大に舵を切る勇気を持てずにいるところが多いように見受けます。いくら東京で人気が出たところで、いつまで続くかわからない。都会で人気の出た商品をメインアイテムとして、これから先の長期にわたって蔵を経営することについてふんぎりがつかない。こんな思いが伝わってきます。

彼らがこのように思う背景をもう少し考えてみたいと思います。

1990年以降、流通の規制緩和が進み、酒類販売免許自由化と共に、これまで酒販免許を持っていなかった全国系大型スーパーやコンビニエンスストアが酒類を販売するようになりました。同じ時期に清酒の級別制度が廃止されたことから実質的な価格自由化が進み、コモディティー商品の廉価販売競争が激化しました。特に清酒パックの価格競争は非常に激しく、全国チェーンのスーパー店頭価格は1,000円を下回るのが当たり前の時代になったのです。その当時の2級酒の1升ビンの価格は1,650円くらいと記憶していますので、いきなり40%値下げというレベル感の廉価商品が市場の主流になったことになります。中小規模のメーカーには到底太刀打ちのできる価格ではなく、スーパーの店頭は全国的に地酒から全国ブランドの大手商品に代わってゆきました。

このような背景のなかで過ぎた平成の時代は、級別制度の廃止による多様化の進展などのように日本酒にとって価値的にはプラスの要素も多い時代であったものの、ドライに俯瞰すれば消費量を減らしながら価格も下落した時代と位置付けることができます。

昨年の秋、さる灘の大手メーカー会長とお話をする機会がありました。その時にその会長が「あの時代に、灘伏見の大手メーカーは本来広告宣伝に使うべき経費をすべて値引きの原資に回してしまったことで、消費者が離れ、さらに酒の価値を下げてしまった」と、しみじみ語っておられたのが非常に印象的に耳に残りました。

この価格競争の影響は、地方の日常生活から地元の酒が消えるという結果をもたらしたと思います。それまで生産量の80%~90%を地元向けの日常酒で賄っていた地方メーカーは、急速に生産量を落とし、生産量の半分以上を首都圏を中心とした県外需要に頼らざるを得ないというメーカーも多くなってゆきました。

地元の店頭から地元の酒が消えてゆくことにより、かつて味噌や醤油とともに地元の味として親しまれてきた日本酒の地域性は失われてゆくことになりました。

国税庁を中心に日本酒の地理的表示(GI)を推進する動きが活発です。すでに20を超える地域でGIが認定され、これからも増えることが予想されます。

しかし、すでに認定された地域の声を聞いてみた時、GIに対する思いや共通認識は必ずしも強くないように感じられます。特に県単位など広域の行政区分でGIを取得した地域ではGIの基準は非常に緩く、その特性の表現についても、なかなか具体的にその地域の味わいを想像させるには曖昧に感じるものが多いというのは、多くの方が感じておられると思います。

マーケティングとして考えるとすれば、本来GIとはフランスのAOCのように、その値域の味わいの根拠を表すものであり、その地名を聞いただけで一定の酒質タイプを想像することができるべきものだと思います。そのようなものであれば、GIは消費者にとって非常に有効な商品選択基準となり得るのですし、また海外戦略においては強力な日本酒のブランド戦略ツールになる可能性を持っていると私は思います。

ただし、ここに根本的な問題があります。果たして日本酒には地域性があるのでしょうか。GIを標榜する地域は、真にその地域を代表する味わいのイメージを共有し、誇りをもってその味わいを次の世代に引き継いでゆく覚悟を持っているのでしょうか。これについては甚だ疑問を感じざるを得ません。

地域性というものは、長くその地域に住む人々が、深い愛着とともに守ってゆきたいという強い信念とともに育まれてゆく地域の歴史文化に根差しているものであると私は思います。官主導に追随するものではなく、その思いを共有する地域のコミュニティーが主体性を持って作り上げてゆくものでなくては機能するはずがないと思います。そこには強いリーダーシップと共通の思いが必要です。

これを作り上げてゆくのは並大抵のことではありません。忍耐をもって時間をかけて議論を進める必要があります。だから難しいのです。当たり前のことです。自社の個のブランドを磨いて一人勝ちする方が、勝つ可能性まで含まなければずっと取り組みやすい近道なのです。

しかし、真に日本酒の未来を考えるのであれば、大きな未来図を描いてそこに向かってゆく努力を行わなければ業界としてはばたく可能性は低いでしょう。世界のアルコール業界が直面している反アルコールの流れは時代的で不可逆的なものであり、これまでの禁酒・禁煙という日常レベルとは違う根本的な是非を問われるものになるでしょう。そのなかで、日本酒は本当に次の世代まで引き継いでゆく価値を持った文化であり続けることができるのでしょうか。

GIはそのための大切な議論の一歩になると私は信じています。