日本酒に見る行き詰まり感と「鳥の目」の必要性

様々な新しい優秀なプレイヤーが日本酒の世界に現れてきました。

彼らは、それまでのマンネリ化やオタク感を払拭するために日本酒の見え方を変え、場所を変え、日本酒にこれまであまり縁のなかったような多くの若者が気軽にワイワイと集まる場を提供することによって、ある種のシフトチェンジの役割を果たしたように見えます。

年齢が高くなってきた自分にとっては、少し居心地の悪さを感じることは否めないのですが、まぁそれは仕方ない。

それ以上に、これまでの酒のイベントでその場を占領していたモノ知り顔でちょっと上から目線の中高年層がいなくなったことで、場が明るくなり、カジュアルな雰囲気になったように思います。

なんて言うと中高年差別ですね。自分もそちら側にいるくせに偉そうにすいません。

でもきっと若い人たちから見たら、自分の親のような年齢の人達が集まって酔っぱらっている場に好んで足を運ぼうとは思いませんよね。当然のことだと思います。

だから親の世代が好む場と、若い世代が気軽に参加できる場というものはそもそも異なっているのだと割り切って、どちらにも楽しんでもらおうなどと欲張らないことがイベントの仕掛けとしては大切なのだろうと思います。

これまでは、若い人たちが日本酒を楽しむ場所がなかったということなのでしょう。

本当は老いも若きも一緒になって日本酒を楽しむ場ができれば素晴らしいことですし、業界が求めなくてはいけないのは、そういう日本酒のあり方なのだと思いますが、1973年にピークを迎えてから落ち続けている日本酒の消費のなかで、もっとも重大な欠落は若い世代の消費層を育ててこなかったということなのですから、今もっとも必要な対策は若者向けてあることに間違いはありません。

最近では40歳以上お断りのイベントがあったり、年代に寄って参加費が違うイベントがあったりして、年齢が上の方々はきっと心寂しい思いをしておられることだと思います。

でもそれが悔しければ、逆に若い人は参加できない、むちゃくちゃにアダルトな会があっても当然良いわけですよね。あまり大規模なイベントにはならないでしょうが。

先輩がたは、それくらいの余裕と自信を持って矜持を貫けば良いのです。

さて、イベントが若返ったというのはとても良いこと。そして出展するメーカーもかなり若返りました。

さらにお酒の質も昔とはかなり変わって、酸の高い、ジューシーなお酒や、その他醸造酒のような(すいませんクラフトサケという名称はあまり好きでないので)様々なフレーバーがついたお酒が人気となりつつあります。

私が若い頃に市場に出回っていた酒や、その後の吟醸酒ブームの時代に人気のあった酒とは全然違った、それこそ「ワインみたいな」酒が増えたと思います。

飲み方にも俄然自由度が生まれてきました。氷をいれる、ソーダで割るのは当たり前。世界的な低アルコールやハードセルツァーの流行を日本も追いかけています。

別に悪いことではない。

そうやって酒も人も飲み方も変化して進化して歴史は紡がれてきたのですから。

でも、「でも」なのです。

なんとも言えぬ行き詰まり感を私は日本酒に感じています。将棋で言うところの手詰まり感です。

色々なものがでてきているのに、なんとなくワクワクしない。「うわ、これ歴史を変えるかも」という驚きがない。

色々な新手が出ているのに、ゲームチェンジャーが現れない。

そんな思いはありませんか?

春になると、様々な展示会が始まります。色々なお酒をテイスティングする場にはできるだけ行くようにしているのですが、やはりワクワクしない。

ひとつの時代の節目に来ているのだと思います。今の時代の象徴である「十四代」や「獺祭二割三分」が発売されて20年以上になるのですから、当然のことかもしれません。私たちは大きな目、鳥の目で時代の流れのなかで次に求められる日本酒の潮流を見極めて、カタチにしてゆかなくてはなりません。

私は業界がもっと成熟した大人になってゆく時であると思っています。目先の小さなものに振り回されずに、もっと長い目で価値のあるものに目を向け、もう一度業界を作り上げるような活動が求められていると思っています。

一緒に考え、議論してくれる人がいれば、是非一緒に勉強したいと思います。色々な「鳥の目」の意見が聞いてみたい。