1000年先に残る酒

最近、私の頭のなかに常にリフレインしている問いかけです。

1000年先の未来にまで残る価値のある酒ってなんだろう?

その根底にあるのは、「はたして人類にアルコール飲料は必要なのか」という問いかけです。

酒を心から愛する私の思いです。

大酒飲みのアメリカ人に見えるトランプ大統領が実はお酒を飲まないという話に驚かされるのですが、「ソバーキュリアス」という表現が何となくキュリアスという次元を超えて確信に変わってきているというか、お酒の存在しない世の中、少なくともマジョリティーの人がお酒を飲まない世の中というものを自分自身が想像できるようになってきたことに驚かされるのです。

別にお酒がなくったって不自由なく生活できるし、むしろ余計な失敗や、それに伴う後悔がなくてストレスフリーかも。

日本でお酒が最も消費されていた時代、生活のありかたや社会のなかでの人間関係は現在とずいぶん違っていたと思います。

テレビのスポーツ番組や歌謡番組を、家族でチャンネルを取り合いながら見て、おやじの娯楽は酒とタバコと麻雀という昭和の時代。

社員旅行や同僚との一杯、得意先との宴会、官民接待、熱海や箱根への温泉旅行。

終電はいつも酒臭くて、酔いつぶれた「怖い」おとながシートに寝ていたり、悪態をつくおやじが千鳥足で歩いていたり、ホームの吐瀉物を駅員さんが掃除したりして。

これって、決して魅力的な世界ではありません。子供の目から見て、ちっとも憧れる世界ではありませんでした。

だからそういうアルコールの負の側面が世の中から消えていった方が良いと考えるのも、ごくごく自然かと思います。

それにお酒を飲まなくても家でやることはたくさんある。ヨガやピラティスに通ってシュンとした体形を保って、自分のPCでNetflixの映画をゆっくり観る。

よほど暑くてたまらない時に冷たく冷えたビールを飲むという時でもない限り、何もお酒を飲む必要はない。酔う必要はさらにない。だからノンアルビールでも構いません。

負の部分だけを集めたら、アルコールには負の部分がたくさんあります。

確かにアルコール飲料の「おいしさ」はありますから、負の部分だけではありませんし、美食を追求するなかにお酒はずっとあり続けるだろうとも思います。

そして、「酔う」ことによるコミュニケーションの活性化という部分も捨てたものではありません。個の時代になればなるほど、人との関わりの必要性というものが問われることになるでしょう。そこにアルコールの果たす役割はあると思います。

でも、1000年という時間の流れのなかで酒の存在価値を考えると、なんだか議論が薄く思えます。

私は酒を心から愛する一個人です。

そして本当に価値のあるものが世の中に残ってゆくための仕事をしたいと思っています。

だから自問します。

これから間違いなくアルコール消費が減ってゆく世の中のなかで、1000年先まで残ってゆく価値って何だろう?

ユネスコで無形文化遺産に認定された日本の伝統的酒造りは、1000年を超える歴史を持っています。1000年の間伝えられ、進化しながら残ってきたお酒です。それを思えば、私たちは当然これから先の1000年という時間を想像し、伝えてゆくことができるのです。

果たして今私たちが飲んでいる酒が1000年先まで飲まれているのか?

変わるもの、変わらないものは何なのだろう。

未来を予言する力など、当然私にはありませんが、でもそういう視点を持って毎日を生きていたいと思ったりするのです。