身体がよろこぶおいしさ

2025年の秋に盟友のジャスティン・ポッツと2泊3日の旅に行ってきました。

今回の旅は、灘の老舗大手「菊正宗」「剣菱」にはじまり、姫路に一泊した後にレンタカーを借りて北へ向かい、朝来の「竹泉」、若桜の「辨天娘」、青谷の「日置桜」、北栄の「冨玲」、そして最後に智頭でビアブルワリー&ベーカリーを営む「タルマーリー」を訪れるという、ちょっと個性のはっきりした酒蔵を中心にした忙しい旅程を組みましたが、それはとても豊かで思い出深い旅になりました。

(ジャスティンと田治米で)

「これから先、お酒の仕事をするなら、自分がこれから先ずっと残って欲しい、残る価値があると思える酒蔵と関わっていたいよね。」この旅のきっかけとなったのは、ジャスティンとの何気ないこんな会話でした。

じゃあ、お互いにとって「残る価値がある酒蔵」ってどこなの?と始まって、ああだこうだと話を進めているなかで、この旅が生まれたのです。それは、ここだと思い定めて行くというよりは、どちらかというと、お互いにとっての「価値を探す旅」ともいえる旅になりました。

私が「お酒の価値」というものに目を向けるようになったきっかけは、平成のはじめの頃、酒米の先生として名高い永谷正治先生との出会いだったと思います。福井の「一本義」の蔵を訪問した時に耳にした先生の取り組んでおられる仕事に強く心を揺さぶられ、永谷先生が深く関わっておられると聞いた大阪の「秋鹿」に飛んでゆきました。

(永谷正治先生)

この時に初めて私は米作りに深く関わりながら酒を醸している酒蔵に出会いました。

何度か酒蔵に通ってお話を伺い、永谷先生と一緒に山田錦の産地を回ったりするなかで、酒というものが、ただそこにある「飲み物」という価値だけではなく、自然や土、そして労働で流す汗、そして米を知ったうえで造る酒というとても深遠なものに見えてきました。

その時代は全国新酒鑑評会で金賞をとるフルーティーな吟醸酒というものに市場の目が集中していた時代でしたが、そのように磨いて磨いて造る酒とはまったく違う次元にある酒の価値というものを始めて自分のなかで認識した出会いであったと思います。

その後、今から20数年前、私のお酒業界の2番目のキャリアになった卸問屋にいた時に出会った福島の仁井田本家と関りを深めてゆくなかで、私は「自然派」といわれる酒に興味を深めてゆきました。

仁井田本家との出会いは、実はお互いにかなり印象の悪いものでした。というのも、最初にこの蔵の酒を飲んだ時の印象は、単純に「おいしくない」というものだったのです。

いくら自然栽培の良い米を使って、環境に優しい取り組みをしたところで、おいしくない酒のどこに価値があるのか、その時の私には正直なところわかりませんでした。その価値をはかる基準が私のなかになかったというべきかもしれません。自分が精魂込めて造った酒を「おいしくない」と言われて気分の良い造り手がいるはずがありません。仁井田社長とは、ほぼ喧嘩別れに近いことになりました。

(美しい仁井田本家の蔵)

オーガニックな酒に知的な興味は湧くが、オーガニックであることがどんな酒の価値につながるのかがわからない。普通の酒よりも高いコストの米を使って高い価格をつけるだけの味わいの差異がどこにあるのか、私にはわかりませんでした。

次に出会った思い出の深い酒は千葉の寺田本家「むすび」という酒です。先代社長の書かれた「発酵道」という本を読んでこの酒蔵の取組みに非常に感銘を受け、一般の消費者に混じって見学に行ったのがスタートで、その後は神崎町ぐるみで行われる「お蔵フェスタ」という発酵をキーワードにしたお祭りにも何度も足を運び、この酒蔵とその醸す酒を理解しようとしてきました。

最初に飲んだこの酒蔵の酒のイメージもかなり強烈なものでした。この酒のどこに万人が共通に自覚することができる「おいしさ」というものを見つけることができるのだろう。

(寺田 優 社長と奥様)

私はお酒を売る立場にいたので、消費者がお金を払って買って下さるだけの価値を自信を持ってお伝えすることができなくては、お酒を取り扱うことはできません。

寺田本家のお祭りには神崎町の人口の十倍もの人が訪れていると聞きました。そして彼らはこの酒を「良い」と言い、この酒でなくてはだめとまで言うのです。これは宗教の信者に近いと思いました。味よりも信仰。だとすれば私の住む世界とは別の世界の話になります。

そんな自分に、ひとつ新しい目を開かせてくれたのは、オレンジワインでした。

これもかなり昔の思い出になるのですが、懇意にしている築地の酒販店のワイン担当の方にお誘いを受けて、池袋の飲食店で行われた国産オレンジワインの試飲会に行きました。私はオレンジワインなるものの存在も知らずに参加したのですが、赤でも白でもロゼでもない、褐色で少し酸化還元臭を漂わせるワインの数々に対峙しながら、これまで自分が積み上げてきたワインの常識をかなり覆される思いをすることになったのです。

それらは、決して美味しいというものではありませんでしたが、自分のなかで食事を想起させるものがありました。一緒に食べてみたい料理が頭の中を勝手に巡り始めるような体験をしたのです。

(白ではなく、オレンジ色のワイン)

それまでの自分にとって、ワインを勉強する楽しさとは、ワインの香味をプロファイリングしてブドウ品種や産地、熟成度合を類推する、とても知的なお遊びだと思っていたのかもしれません。もちろんブドウを原料として幾多のプロ醸造家が精魂込めて作る飲み物ですから、飲み物としてのおいしさや、食事とともに供する楽しさがあることはもちろんなのですが、それとともに咀嚼する自分はかなり頭を使って酒を飲んでいたのだと思います。

さて、オレンジワインが私にもたらしてくれた変化とは何だったのでしょう。それは、「世の中で良いと言われる価値観とは別の次元にある価値の発見」だったのだろうと思います。フランスワインで言えば、格付けのなかで積み上げられてきた価値の基準です。日本酒で言えば、新酒鑑評会で良いとされる価値の基準、または品質表示基準(特定名称)です。

日本酒の良し悪しを語る時に良く使われるのが「きれい」「すっきり」「キレ」という表現だと思うのですが、これに反する特徴が見られた時、たとえば「荒い」「ごつい」「老ねた」「後味が残る」という特徴に出会ったとたんに、その酒はダメという評価が下される、そんな場面に良く出くわします。

私は、こんな評価の基準がこれから大きく変わってゆくという予感を持っています。