オレンジワインは、もともとジョージアで造られてきたクヴェヴリという甕のなかで白ブドウを果皮や種と一緒に醸すワインです。白ワインの爽やかさと赤ワインの重厚さの両方を兼ね備えていて、かなりワイルドな方向に寄る味わいです。

(映画:ジョージア、ワインが生まれたところ)
普通の品質判断基準から言うと明らかに酸化臭や還元臭があって、思わず「えっ?」と言ってしまうような酒もあります。酸化しやすいワインに酸化防止剤を使わなければ必ず生ずる香りですから、さもあらんということなのでしょうが、今まで隠そう、消そうとしてきた香りを堂々と表に出すというところに明らかなシフトチェンジを感じます。
そしてもうひとつ大切なポイントは、このオレンジワインがとても食事との相性が良いということです。自分がこれまで体験してきた白ワインと赤ワインで料理とのペアリングよりも、このオレンジワインは幅広い食事ととてもカジュアルに合うのです。オレンジワインは食事の中盤から後半にかけて、どんな料理でもずっと通して飲み続けることができるワインだと感じました。
今、ノンアルコールが時代の流れとして世界に広がりつつあるなか、私たちはお酒を飲むことの意味に改めて向き合う必要があります。
少なくとも「酔っぱらうために飲む」、過剰摂取は麻薬と同じで身体にも社会にも良いことは何もありません。適度な酔いで心の壁を取り除いて人との関係性をより良くする、というのも何となく「酒の力を借りて」というようなマイナスのイメージを感じますし、お酒が原因で何かの事故が起こったとしたら、やはりそこまでプラスの要素として捉えるのが難しいように思えます。やはりお酒というものは「飲んでも呑まれない」、大人の飲み物であることが大前提ですね。
「おいしさ」は受け入れられそうです。ノンアルコール飲料にはないお酒のおいしさ。アルコール飲料だからこそ味わえる絶対値としての「おいしさ」があれば、お酒には存在意義がありそうです。
では、お酒のおいしさとは何なのでしょう。日本酒のおいしさとは何なのでしょう。「香りが良い」「スッキリしている」「キレが良い」「辛口」「芳醇」「バランスが良い」「コクがある」「喉越しが良い」・・・ これまで、日本酒の良し悪しはこのような言葉で表現されることが多かったと思います。
これらの言葉を聞いて、確かにタイプとしての日本酒は何となくイメージができますね。でもあまり明確ではありません。何に比べて何が良いのかよくわかりません。おそらくこれらの表現は「香りが悪い」「スッキリしない」「キレが悪い」「うすっぺら」「バランスが悪い」「ひっかかる」というような言葉の反対ということ、つまり絶対値というよりは相対値で測っている表現だと思います。お酒のおいしさを積極的に説明できる言葉とは言えません。
フードペアリングは、この相対的な表現よりはもう少し具体的にお酒のおいしさを表すことができるかもしれません。ワインで良く言われるようなフォアグラやロックフォールチーズにソーテルヌを合わせるようなペアリングは、誰もが体感して「ガッテン」のゆく唯一無二の価値を生み出します。

日本酒にしても、新潟の五百万石を使ったお酒に塩を振って炭火焼きにしたニジマスを合わせるとか、少し熟成した本醸造酒のお燗をおでんと合わせるというような、想像しただけで涎が垂れてくるようなペアリングがあります。
これはなかなかノンアルコールでは追いつくのが難しそうな気がします。ノンアルコールのトレンドに対抗する手段のひとつとして、お酒の業界はもっとフードペアリングを研究し、アピールする必要があると思います。
茨城県の月の井酒造店で杜氏をしておられた石川達也さんの言葉が心に残っています。彼の作る酒は、巷の基準で誰もが「おいしい」というタイプの酒ではないのですが、彼は自分の酒を「お腹がすく酒」と表現しておられます。「おいしいかおいしくないかは良くわからないけど、石川さんの酒を飲んでると何か食べたくなってくるんだ」と言われると言っておられました。とても面白い表現ですし、なんとなくわからなくもないという気がします。わからなくもないけど、でもやっぱりわからない、というのが本音ですが。
この「お腹がすく酒」という表現はなんとも漠然としているのですが、私の心のなかに残りました。「身体が反応する酒」というのは、かなり主観的な表現にはなりますが、主観の主体になっている人にとっては恐らく「真実」なのだろうと思うからです。
以前から、純米酒やオーガニックの酒を飲むと「身体にやさしい」とか「二日酔いしない」というような表現で肯定する主観的な表現には折に触れて出会いました。これらの表現と「身体が反応する酒」という表現は同じく主観的なものですが、私には後者の方がより直感的で確信的な表現に思えます。
身体がよろこぶおいしさとは何なのでしょう。もっともっと自らの体験を積み重ねて、それを見極める境地に達したい。
それがわかったら、何も怖くないような気がします。
