雀醇塾(ちゅんちゅんじゅく)のこと

私が業界に入ったころには、業界の「先生」と呼ばれている方が色々とおられました。その多くは文化人かマーケティングの専門家でしたが、それぞれの分野で存在感を放ち、インフルエンサーとして消費者に酒の魅力を発信し、また蔵元や流通に関わる人たちを牽引し、教育する役割を果たしていたと思います。

例えば佐々木久子さんという方は「酒」という雑誌を通して酒のトレンドを伝え、多くの消費者が知らない幻の銘酒を知らしめていました。文筆家であり編集者である梁取三義さんや山本祥一朗さんは、お酒好きの文筆家仲間をまとめて日本酒の魅力を発信しておられました。

マーケティングの世界には、国分㈱出身で㈱東京マーケティングを設立された宮川東一さんを筆頭に、宇賀神重治さん、吉田豊さん、馬場貞夫さん、小島稔さんなど酒販免許自由化の流れのなかでディスカウントストアやコンビニエンスストアといった新しい業態がどのような影響を与え、そのなかで酒類専門店はどのように生き残り、将来図を描いてゆくべきであるかを論じておられました。

そんななかに篠田次郎さんという建築家あがりの先生がおられました。現在は90歳を過ぎて、持病の網膜色素変性症によって視力を失っておられるものの、元気にしておられる貴重な存在です。

篠田先生は非常に多才で器用な方で、一級建築士の他にも技術士や中小企業診断士など様々な資格を持っておられます。一方で、若いころからトロンボーンでデキシーランドジャズを吹いておられたという粋人でもありました。広い視点で、時に酒類業界に対して鋭い批評をしながらも、茶目っ気のある冗談も大好きな、とても明るい先生でしたから、先生の周りにはたくさんの酒好きが集まっていましたし、先生が主宰されてきた「幻の日本酒を飲む会」には、新しい情報や酒類トレンドを仕入れるためにたくさんの蔵元も集まっていました。

私もそのひとりでした。当時の私はお酒に人一倍の興味はあったものの、お酒がほとんど飲めず、いつも真っ赤な顔をしながら会の末席に座っていました。

そんな篠田先生が「雀醇塾(ちゅんちゅんじゅく)」という蔵元や流通の子弟向けの私塾を始められました。ちゅんちゅんと騒がしい「雀のお宿」をイメージしてつけられたネーミングのセンスが素晴らしいですよね。これから業界を背負って立つ若者達を集めて、社会人教育をしようという、まだ日本酒業界に今よりも余裕があった時代の私塾です。

内容と言えばそれほどのこともなく、月に一度先生の事務所に集まってゲストのお話を軽く聞いたあとに飲み会をするというだけのものです。先生は恐らく毎回それなりのテーマを考えてゲストを選んでおられたのだと思いますが、私のなかでは毎回なんとなく集まって酒を飲んでいたという印象しか残っていません。特別に何かを学んだという思いも強くはありません。知識を学んだというよりは、社会人としての酒の嗜みを学んだというニュアンスの方が強かったかもしれません。

そこには「同じ釜の飯を食った」というような不思議な連帯感が生まれました。

みんなで行った酒蔵見学の思い出をはじめとして、今でも温かい空気感とともに蘇る気持ちがあります。雀醇塾の仲間と会うと、懐かしく、時代を共有しているという思いが生まれます。これは篠田先生の人柄なのだろうと思います。

篠田先生は頭の良い方ですから、ご自身に対するとても高いプライドを持っておられると思いますが、一方で人を受け入れる柔らかさを持っておられました。人の話を聞いたうえで、自分を押し付けることなく笑って受け流すことができる方でした。だから人がついていったのでしょう。

先生がお年を召して業界のフロントから退かれたあと、若者を育てる役割を果たす人物が必要だと思っています。自分が何を教えるということではなく、自分の経験してきたことを伝え、自分のネットワークを引き継ぎ、より大きなネットワークにつなげてゆく存在が必要だと思っています。

自分がやってみようかな、という気持ちになりました。

どうせやるなら「雀醇塾」という名前を引き継ぎたいと思ったので、先生の事務所を訪ねて、こわごわとお尋ねしたところ、先生はふたつ返事で賛同して下さいました。

言ったからには始めなくてはなりません。

さて、塾生は集まるでしょうか?

篠田先生の写真は、福島市 金水晶酒造㈱の斎藤美幸さんのFacebookから使わせていただきました。とても良い表情をしておられたので。